残された子供達にがんペプチドワクチン療法を第4の標準治療に!

残された子供達のためにも、一刻も早くがんペプチドワクチン療法を第4の標準値治療に!

37歳の若さで膵臓がんに罹患し3大標準療法に行き詰り、二人の幼子を残して亡くなった奥さんの無念の想いと願いを切々と話す齊藤博之さん。これから大人になる子供達のためにも、誰でもどこでもがんペプチドワクチン療法を受けることができるよう、一刻も早く第4の標準治療にしたいと訴えます。
そのためにも、今夏のがんペプチドワクチン臨床試験スタートのために、一人でも多くの方のご支援をお願いします!
2013年6月13日、参議院会館における第1回「市民のためのがんペプチドワクチンの会」の講演会。

http://www.youtube.com/watch?v=r7G48KwYLsEスクリーンショット 2013-06-17 8.25.50

サポーターの声 2012A0003

このたびT・Yさん(M・Tさんのお嬢様)から残念なお知らせと共に、以前M・Tさんがお送りくださったご寄稿とご丁寧なメールを頂戴しました。そこで、ここにM・Tさんのご遺稿と共に掲載させていただき、心からご冥福をお祈りする次第です。
M・Tさんとは一度しかお目にかかりませんでしたが、あの感銘深かった3月22日の中村先生の最終講義の日に、奥様お嬢様と共に医科研講堂にお出でになり、その折に手を握り合ってご本復をお祈りいたしましたことを昨日のように思い出します。
M・Tさんの前向きで明るく、しかも周到な闘病の軌跡が、きっと多くの方々のために役立つことでしょう。合掌。

「~免疫力に始まり免疫力に至る~」
 M・T

ガーン
「なぜ私が?」
「死」
「抗がん剤」/「髪の毛が抜ける」
「漢方薬」「サプリメント」
「QOL」
「人生分け目のか・き・く・け・こ→生き生き人生/がんになる人生」
(か→感動/かっかしやすい き→希望/気遣いが多い…)
「自律神経失調症/交感神経/副交感神経」
「免疫力」
「がん患者の会」「市民のためのがん治療の会」
「がん闘病記」
「がん細胞/直径1cmに成長するまで約10年」
「遺伝子のコピーミス/免疫をすり抜けた遺伝子」

私ががんを患った当初、以上のような語句に接しました。
そんな中、なぜがんになったか…、あるいはがんをやっつけるには…の答えに≪免疫力≫が重要な部分を占めることを漠然と認識したものでした。

                     私の病歴

ここで、ドクターをはじめ私のがん治療にたずさわっていただいた方々に感謝の心を込めて私の病歴を紹介します。「市民のためのがん治療の会」に入会し最初のセカンドオピニオンを頂いたのは、原発の舌がん手術から1年半後の2006年11月21日でした。その時、がんをやっつけるのは手術だけでなく進化した放射線治療があることを知りました。それ以後、5回のきめ細やかなご回答を會田会長経由西尾正道先生から頂きました。頭の中が混乱している時のアドバイスは“にっくきがんめ!やっつけてやる!”というポジティブな気持ちになれました。人生で初めて“救われた”ということを実感しました。

● 原発
2005.06 舌がん発症
摘出手術
(大学病院耳鼻咽喉科/頭頸部外科―東京)
● 転移
2005.12 左頸部リンパ節転移
左頸部郭清・右上頸部郭清・気管切開手術
(同上の大学病院)
● 転移
2007.1 右肺に転移(扁平上皮がん/非小細胞がん)
放射線照射および抗がん剤投与
(大学病院耳鼻咽喉科/放射線科―福岡)
(同上の大学病院の主治医の指示により福岡の総合病院での抗がん剤治療)

以後経過観察する中で
● 転移肺がん再発(4年経過後)
2011.1 転移肺がん右肺門再発
抗がん剤投与
(同上の大学病院の主治医の指示により山口の総合病院での抗がん剤治療)
● 喀血
2011.12 喀血
気管支内視鏡検査
(国立病院機構 医療センターー山口)

                  ペプチド・ワクチン

この喀血は、第五の“ガーン”でした。
国立病院機構 医療センターのドクターが、過去6年間に放射線照射・抗がん剤投与を受けているので、新たな治療は限界だと言われました。
これで万事休す。あとは緩和ケアによる対応しかないのかと悲しい気持ちになりました。6年前と違い今の私には“死”は怖くありません(正直には98パーセント)し、やり残したことが2つあること以外には覚悟はできています。
そんな中、年の瀬も押し迫った12月30日衝撃的なメールが會田会長から届きました。またまた“救われた”と思いました。自然と涙が出てきました。
それは、東京医科学研究所の中村裕輔先生のペプチド・ワクチンの情報でした。早速中村裕輔先生のホームページ(Dr YUSUKE NAKAMURA’LABORATORY)を閲覧し、私に合った病院を探しました。
肺がん(転移)の対応病院である岡山県の大学病院に連絡を取りました。ところが、またまた第六の“ガーン”です。万事休す。
それは、私のがんは肺がんではなく原発の“舌がん”つまりがん種は頭頸部がんだということでした。
あらためて、中村裕輔先生のホームパージを念入りに閲覧したところ最終欄に熊本大学病院歯科口腔外科と昭和大学歯科病院口腔外科がありました。ヤッターと思いましたがまだまだ安心はできません。血液型が合わなくてはなりません。早速熊本大学病院を受診しました。
血液検査(2週間かかりました)の結果、ワクチン接種が可能ということになり、早速1月25日(水)から毎週1回水曜日にワクチン接種を開始することになりました。
ところが、4回目を接種した頃(2月15日)呼吸が息苦しくなり、国立病院機構 医療センターを受診したところ、肺門の腫瘍が思ったより早く成長しているとのことで、ステント留置術を2月24日に受けました。これはワクチン接種の好転反応ではないかと思いましたが、ワクチンは3ヵ月後くらいから効果が出るようなので私の勝手解釈でした。
こうなったら腫瘍の成長とワクチンの効果とのせめぎ合いです。ワクチン頑張れ。ケセラセラで行こう。自然体でいこう。これまた免疫力アップかなと思いました。
手術および入院の間、3回ワクチン接種を休みしました。以後、3月14日から5回目を再開しました。

                 會田会長さんの東奔西走

3月1日に會田会長より中村裕輔先生の講演会が3月22日(木)に開催されるとのメールが届きました。丁度、3月21日(水)に6回目のワクチン接種がありますので、熊本空港から一路東京に飛び、中村裕輔先生の講演を聴講しました。
昨年暮れのペプチド・ワクチン情報をはじめとしたこのような會田会長からの情報提供に“救われる”と同時に“感謝”です。幸せます(山口の方言)。
また、3月16日の参議院予算委員会において、新党改革の荒井広幸委員がペプチド・ワクチンの実用化の提言をしました。荒井発言の中に會田会長の紹介がありました。これまた會田会長の要請活動の結果でした。
このように、われわれへの情報提供、中村裕輔先生との信頼関係を基点としたペプチド・ワクチンへの取り組み、ワクチンの法的制度化への要請活動等々、會田会長の世のため人のための粉骨砕身には、頭が下がります。と同時に昨年12月30日のメールにある≪自分で勝ち取ろう≫精神の先達者としての會田会長に、われわれもおんぶにだっこではなく、まさに≪自分で勝ち取ろう≫と行動したいものです。

                  ≪自分で勝ち取ろう≫。
ポジティブ・チェンジで行こう。
免疫力で行こう。

(参考)荒井広幸参議院議員の委員会提言の内容(You Tube)

まだ戦っています
ステント留置術およびレーザー焼灼術を、2月24日から6月4日の間に都合7回受けました。

今のところ、がんは小康状態を保っているようですが、いつ起きだすかわかりません。今後は、NK細胞の活躍に期待を込めて心を確かに生活しようと思っています。

小生は、現在「自然農」という方法での米や野菜作りに挑戦して3年目です。ある程度の達成の域にはあと4、5年はかかります。この社会的使命を含んだ目的を“免疫力”として人生を全うしたいと考えております。

<M・Tさんのお嬢様からのメールです>
會田様

突然のメール、大変失礼します。
私は、M・Tの娘で、T・Yと申します。
會田様とは、今年3月22日の東京医科研での中村先生の講演会後に、父と母と一緒にお目にかかりましたが、覚えておいででしょうか。

このたび、僭越ながら、會田様にお知らせしたいことがあり、ご連絡させていただきました。
去る9月24日朝、父が永眠いたしました。
8月に、會田様より、父の闘病記の全文が会誌に掲載できますとのご連絡をいただいて、本人もたいそう喜んでいたのですが、もうPCに向かう元気もなく、そのままになっていましたのを死後見つけまして、こうしてご連絡させていただいている次第です。
原稿を送付させていただきますので、もしまだ可能でしたら、掲載の方、ご検討いただけますと幸いです。

とはいえ、本文は6月あたりで途切れておりますので、その後を補足させていただければと想います。

ステント留置術およびレーザー焼灼術による入退院を計7回繰り返し、7月30日の血液検査の結果、緩和病棟への入院が決まりました。
その後、8月10日のCT検査で右肺が腫瘍で完全につぶれていることが確認され、ステントをこれ以上入れるのは難しいとの診断が下りました。左肺はきれいなままでしたが、仮に出血し左肺まで行くと致命的となるため、止血剤の点滴が始まりました。また、肺炎にもかかっており、炎症を抑えるため、またMRSA(院内感染)も出ているため、の抗生剤の投与も始まりました。
父は家に帰りたがっていたので、ある程度炎症を抑えた時点で在宅療養を検討することになっており、母もそのつもりで準備を進めていたのですが、父はそのまま退院することはありませんでした。

非常に残念な結果になりましたが、父は最期まで闘う姿勢を崩しませんでした。
退院日を11月15日(何となく、だそうです)に定め、着々と準備を進めていました。
テレビや新聞で情報収集して高血圧の薬を飲むタイミングを調整してみたり、普通食が飲み込みにくければすぐに嚥下食に切り替えて味付けやトッピングして食事を楽しもうとしたり、リハビリの先生に痰を出しやすくする呼吸法や体操を教わればさらに自分で研究、改良したりして、少しずついろいろな困難を克服して行く姿に、幾度となくまわりの人間の方が元気づけられました。
また、ペプチドワクチンの接種に命をかけており、8月は、医師もいい顔をしない中、息子(私の兄)の運転する車で、酸素ボンベを4本抱えて6時間かけて熊本まで出向き、ワクチンを接種してきました。9月も、26日に予約を取っており、医師に何があっても責任は問わないという誓約書(代筆させられました)を準備し、着ていく服や履いて行く靴まで選んで楽しみに待っていましたが、とうとう行くことがかないませんでした。
最期は、母と兄に見守られながら、静かに息を引き取りました。
私は最期の瞬間には間に合いませんでしたが、その前の1週間、怪我で入院した母の代わりに父の病院に付き添い、父と二人きりの穏やかな時間を過ごすことができましたので、悔いはありません。

癌は恐ろしく、父の命を奪った憎い病気ですが、その病にかかった父からいろんなことを学びました。
7年間、立派に病と闘い、最期まで必死に生きた父は、私たち家族の誇りです。
父に恥じないよう、私たち家族も、これからを精一杯生きて行こうと思います。

長文になり、申し訳ありません。
以上が父の最期の2ヶ月間になります。

會田様には、大変お世話になりました。
父のモットーである「世のため人のため」を実践されている會田様の活動に、父はいたく感銘し、励まされていたと思います。
これからも、父のような病に苦しむ人に、光を与えていただければと思います。
末筆ながら會田様をはじめ、市民のためのがん治療の会の皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

                                            T・Y

サポーターの声 2012A0002

                 平成24年9月24日

投稿日:2012年9月24日

「市民のためのがんペプチドワクチンの会」の開催する講演会、発行する本、HPで発信する情報、ブログなどで広がる、いつでもどこでもだれでも、受けたいと思う人がいつでもペプチドワクチン療法を受けられる社会を目指すネットワークに、みなさんもどうぞご参加ください。
今日は東京都のS.さんからの投稿です。

今まで仕事や旅行などで何度か海外へ行ったことがありますが、私はその度に日本の良さを再確認していました。
おいしい食事、行き届いたサービス、整備された環境・・・どれをとっても日本人であることを誇りに思えるものだと思います。
しかし、そんなわが国が薬においてはこれほどまでに遅れをとっているなんて全く知りませんでした。

昨年秋、私の母が膵臓がんであると診断されました。半年ごとの定期検診でみつかったものの、すでに肝臓に転移しており手術不能でした。
担当医師から「治ることはなく、抗がん剤によって進行を遅らせることしかできない」と言われ、頭が真っ白になったのを今でもよく覚えています。

当時私は母にとって初孫である1歳に満たない双子育児の真っ最中でした。日々の成長を楽しみにしてくれていて、「やっとやっと親孝行できた」と幸せいっぱいだった日々が一転、毎日涙を流し、笑いのない生活が始まりました。

そんな中少しでも情報を集めようと私はパソコンに向かいました。しかし、目にするのは膵臓がんの厳しい現実ばかり。こんなに進行が速く平均余命が短いなんてまったく知りませんでした。
「知らない方がいいのでは・・・」と調べるのをやめようと思いましたが、私にできることはそれくらいしかなく、育児の合間に時間を作っては情報収集していました。

そんな時ふとみつけたのが、「余命半年と言われてから7年生きてます」という母にどことなく雰囲気も似ている方のブログでした。「例え1人でもこういう方がいるんだ」と知った瞬間、すごく勇気をもらい、一瞬で私の気持ちに変化が起きたのがわかりました。不思議なくらい涙を流すこともなくなりました。
その後も、同じように余命宣告をものともせず長生きしている方のブログをたくさん見つけ、「下を向いていてもしょうがない。希望を持って今までと同じように明るく生活しよう」と以前のように笑いのある毎日が復活しました。母も治療をしながら、生きがいである「孫の洋服作り」を再開し、気力もびっくりするくらい出てきました。

やはり同じ治療をするのでも、明るく前向きに過ごしているのと、悪いことばかり考えてしまいながら過ごすのでは効果は違ってくると思います。延命効果もあると確信しています。

とはいえ、がんと診断されて抗がん剤の副作用と戦ってる中、前向きに過ごすことなんて容易ではありません。

でも、「希望を持つ」ことによって多かれ少なかれ前を向けると私は思います。

今までは気に留めていなかっただけなのでしょうが、注意して見ていると至る所でがんの最新治療法が紹介されています。すぐに実用化とはいかないものがほとんどですが、「夢の新薬」へ一歩ずつ近づいている気がして嬉しく思います。

ただ、「ペプチドワクチン」の話題を初めてテレビで見たときは「これだ!間に合った!!」と興奮して鳥肌が立ったくらい現実味のある話でした。特に膵臓がんワクチンの1つに関しては「最終解析中」とあり、本当に数ヶ月後には母も治療が受けれるものだと思いました。

が、現実は甘くはありませんでした。最終解析中だったワクチンも効果の差がみられないことから実用化は中止、中には完治した人もいる他の膵臓がんワクチンもその治験に入るためには本当に厳しい条件をクリアしないと駄目であるということを知りました。更に治験に入れたとしても比較試験のため偽薬の人も存在すると知り愕然としました。

治る可能性があるのなら、例えリスクがあっても試したいのが患者の気持ちだと思います。でも、今の日本の制度では患者の声はまったくと言っていい程反映されず、承認までには患者からすると考えられないような長い年月を要します。

「治療薬がないというより、あるのに使えない」という方がよっぽど辛い、と言っていた患者さんがいますが、本当にその通りだと思います。こういったことは「希望」を「ストレス」に変えているだけとしか思えません。前を向いて生きると決めた私自身もこの件に関してはどうしても納得がいかず国の組織を始め色々な人に提言しました。

ですが、まったく変わる感じはなく「もう諦めるしかないかな・・・」と思い始めた矢先、會田さんの「市民のためのがんペプチドワクチンの会」の活動を知りました。「いつでもどこでもだれでも 受けたい人にがんペプチドワクチン治療を」ということを目指して活動してくださっています。このことは正に私たちが渇望していることだと思います。その点を理解してくださり、お忙しい中活動してくださる方々の存在にまたもや勇気づけられ、再び前を向くことができました。本当に感謝しております。

何だか思いのままに好き勝手なことをお話させていただいてすみません。母は抗がん剤の副作用もそれほど強くなく、腫瘍の目立った進行もなく、今のところ自分で日常生活ができるくらい元気にしております。大好きな洋裁も様子を見ながら続けております。

私がつい声を荒げてしまったのは、前述した余命宣告を大きく上回って長生きしていたブロガーの方の1人の方が、つい先日長い闘病生活の末40歳という若さで亡くなってしまったからです。余命1~2週間と言われてから抗がん剤治療だけで6年以上も頑張った方なのに・・・。ここ最近のブログは本当に辛そうで1~2行の更新でしたが、膵臓がん患者達の心の支えでした。

彼の5年前のブログには「すごいがんワクチンができてきているらしい」とか「早く新薬を!」とかいう話題に触れ、「抗がん剤で生き延びて新薬で治す」というような内容が何度も出てきていました。辛い副作用に耐え、膵臓がん患者としては驚異的に長い年月を生き延びてきたのに結局抗がん剤での治療のみで亡くなってしまった彼の気持ちを思うと、家族でも知り合いでもない、ましてや会ったこともない私でさえ強い憤りを感じます。何とかならなかったのでしょうか。

こうしている今も新薬を待ちながら戦っている人はたくさんいます。どうかどうか救えるはずの命を救うために、1人1人がやれることをやって、ペプチドワクチン承認のために頑張りましょう。我が国は待っているだけでは何も始まりません。

そして近い将来このHPが「ペプチドワクチンのおかげでこんなに元気になった」という投稿で溢れる日々を心待ちにしています。

サポーターの声 2012A0001

「市民のためのがんペプチドワクチンの会」の開催する講演会、発行する本、HPで発信する情報、ブログなどで広がる、いつでもどこでもだれでも、受けたいと思う人がいつでもペプチドワクチン療法を受けられる社会を目指すネットワークに、みなさんもどうぞご参加ください。
今日は大阪市のK.N.さんからの投稿です。

「市民のためのがんペプチドワクチンの会」の會田様とスタッフの方々へ

毎日酷暑が続いておりますが皆様方はお元気でお過ごしの事と存じます。
先日は無料であのような有意義な会(7月14日大阪での中村先生講演会)を開催していただき大変感謝しております。娘も参加させていただきとても勉強になったと申しております。

私事で恐縮ですが、2009年の夏から闘病が始まり2010年、2011年と夏はいつもベッドでただただ副作用が過ぎるのをじっと耐えている日々でした。
今夏、こんな人並みの暮らしが送れるなんてゆめゆめ思っていませんでした。
中村先生のお陰です。醍醐先生や多くの滋賀医科大の先生方のお陰です。      「感謝!」に尽きます。
食欲が出て美味しく食事をいただける有難さを毎日かみしめています。
人間食べなければガソリンの入っていない車と同じで、正しくガス欠状態です。
元気な時は当たり前だったトイレに行くのさえ自分の体を壁伝いに運ぶんです。
これは経験した人にしか分からない感覚でしょうね。
以前、私の最初の主治医に「先生も患者の気持ちが分かる為に抗癌剤を経験すれば、」と冗談で言った事がありました
その先生は若い研修医でしたが 「ほんとその通りですね」と笑って言って下さいました。
若くても患者の心に添って下さる方で今も不安な時は相談に乗って下さいます。
中村先生がおっしゃっておられた「慈悲」の心を持っておられるお一人です。
今私は幸いにワクチンが効いています。
今後どうなるかは神のみぞ知るですが「今」を楽しみ、感謝し、暗い事は一切考えず、諦めず前向きに行こうと思っています。
いつも少し先に楽しいイベント(分なりのささやかな物ですが)を作って暮らしております。

話は変わりますが 最近テレビで「日本人の二人に一人はがんになり、三人に一人は亡くなります」なんて放送してますが、そんな漠然とした警告では誰一人関心を向けません。
それなら副作用の苦しさを延々(ちょっとおおげさ)放送した方が、私のような暢気な人間も検査を受けてたわと、ついテレビに向かってぼやいてしまいます。
薬の輸入超過を国民に知らせ、抗がん剤の副作用の本当の苦しさを知らせることが先決かなと市井の主婦は思います。
元気な時こそ何かお役に立てればと思っておりますので、遠慮なくおっしゃって下さいませ。

心に浮かんだことを取り留めもなく書きました。乱文で申し訳ございません。
まだ酷暑は続きそうですが、會田様、皆様どうかご自愛をお忘れなくお過ごし下さいませ。
失礼致します。